約 309,781 件
https://w.atwiki.jp/coffeemaker/pages/7.html
・製品概要 はずして洗えるミルつき はずせる水タンクで、毎回の給水もラクラクカンタン 高速ドリップ約6分(コーヒーカップ4杯時) ペーパードリップ方式 コーヒーカップ4杯分タイプ 容量0.54L(約4杯分) (※Amazonの商品説明より引用) ZOJIRUSHI コーヒーメーカー 珈琲通 EC-CA40-BA Amazonで詳しく見る お勧めの珈琲メーカーあります? Part3 426 :名無しさん@( ・∀・)つ旦~ 2007/06/11(月) 21 12 17 ID mLV4/tUn 象印のECCA40というのがヤマダで6月目玉商品で安かったので買ってみました。 安くてミル付きってことで、とりあえずスーパーで買ってあった粉でドリップしてみましたけど 十分に美味しいですね。 この機種はこのスレ的にはどーでしょうか? お勧めのコーヒーメーカーあります? Part4 841 :名無しさん@( ・∀・)つ旦~ 2011/10/29(土) 14 36 16.02 ID ??? 837 838 レスありがとうございます 結局ガラスのやつでホームセンターで数量限定で売ってた象印のEC-CA40にしました 2回ほど水だけでやってからコーヒー淹れてみましたけど やっぱりインスタントや缶コーヒーとは香りも味も全然違いますねw ホームセンターのコーヒーコーナー見たら豆もいろいろ売ってたので 試してみたいと思います なんかはまってしまいそうw ZOJIRUSHI コーヒーメーカー 珈琲通 【カップ約1~4杯】 EC-CA40-BA 象印 売り上げランキング 911 Amazonで詳しく見る
https://w.atwiki.jp/gotomon/pages/7.html
アーカイブ @wikiのwikiモードでは #archive_log() と入力することで、特定のウェブページを保存しておくことができます。 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/25_171_ja.html たとえば、#archive_log()と入力すると以下のように表示されます。 保存したいURLとサイト名を入力して"アーカイブログ"をクリックしてみよう サイト名 URL
https://w.atwiki.jp/puyo-softbank/pages/46.html
キャリア 速度 確認された他の名前 プレイスタイル 対策,対抗方法 その他 このIDに関するコメント 折り返しはGTRが多く、安定している。とにかく隙が少なく凝視力もかなりのもの。連鎖尾を伸ばすのが上手い。催促されて10連鎖程度を打ってしまうと簡単に13以上まで伸ばされる。強さは携帯ぷよの中では5本指に入るのではないだろうか。 -- 名無しさん (2008-12-13 19 54 16) 強さは間違いなくNo.1だが下らないPT制に1週間ぐらいで飽きてPTが停止した。多分二度と戻って来ないだろう。正直最近の上位より始まった頃の上位のほうがはるかに強い。 -- 名無しさん (2009-01-10 17 08 59) 自演臭ぇ… -- 名無しさん (2009-01-12 13 15 59) 本人はとっくの前に辞めてるんだから自演も糞もないだろ。開始当初1位で目立ってたしな -- 名無しさん (2009-01-12 17 43 32) 開始当初一位はユウスケとかいうやつだったから自演臭いと思った -- 名無しさん (2009-01-12 18 37 23) 多分二度と戻って来ないだろうってところが自演臭いと思った -- 名無しさん (2009-01-12 19 27 40) 本人が言ってたからな。mixiにいるよ -- 名無しさん (2009-01-12 21 34 38) 自演にしか見えない。下らないPT制のせいで1週間でやめたとか本人しか知り得ないだろ。 -- 名無しさん (2009-01-13 07 30 38) ハンネがGFDの弟子だった時に、ぷよ通で対戦したが、潰したら切断されたし、そんなに強くなっかった。 No.1はいいすぎだろ -- 名無しさん (2009-01-19 20 18 18) プレーしてないんだからもうほじくり返さんでいいやん -- 名無しさん (2009-01-19 20 22 08) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/48kari/pages/37.html
四八(仮) -SHIJU HACHI- 弐十二 より 499 :497:2008/02/11(月) 04 42 30 ID Q7lMUjeS ファミ通補完計画……5点。派生含めて。分岐が多いのは嬉しいが、無駄な多さにうんざり。有名な会社の都市伝説的な暗部、という切り口はいいと思うんだが。 (後略)
https://w.atwiki.jp/oiko2009/pages/621.html
【書きかけ】出川通「技術経営の考え方」(2004) 技術経営の考え方 MOTと開発ベンチャーの現場から (光文社新書) 評価 ひとこと 分類 経営 新書 目次 はじめにーなぜ今MOTか 技術への期待 経営の根幹は技術マネージ 「死の谷」といくつかの障壁 技術者にとってのMOT 四つのステージにおけるマネジメントの違い 「魔の川」を越える 研究と開発のベクトルの違い 「死の谷」を越える 事業化は“全面展開” なぜ今MOTか 企業の現場で何が起こっているのか なぜ技術者にMOTが必要か 補足 日本MOTの歴史と現状 第1章 米国の開発ベンチャーのマネジメントとベンチャー気質 共同開発に欠かせない開発ベンチャー企業 プロジェクトの背景とM社の状況 日本の「欠落」と米国の「専門性」 米国におけるパラダイムシフトと企業機能の二極化 脱「丸投げ」プロジェクト D社のリスク最小の資金計画 開発ベンチャーとの契約 米国人の人事評価は「英語」より「一芸」 開発VBから学ぶ① 出身会社は徹底的に利用 開発VBから学ぶ② 人材活用はフレキシブルに 開発VBから学ぶ③ 会議はスマートに プロジェクトマネジャーの役割 開発プロジェクト会議のやり方 パートナーの立場に立つ プロジェクトマネジメント三カ条 補足2 西(シリコンバレー)と東(ボストン)の違い 米国の強さを支える地味な開発ベンチャー 米国の開発ベンチャー成立の歴史 受託開発による開発ベンチャー企業の発展 D社の場合 第2章 企業内起業顛末記① ニーズからの新規事業開発 事業化の位置付け、米国開発ベンチャーとの関わり 事業企画の方法 「液晶」マーケットを選定 「製造装置」ビジネスを狙う “ローテク”重工会社の“ハイテク”ビジネスを狙う 企業の事業領域との闘い 不足原資の対応策 社内に応援団を作る コアメンバーを集める 人材の問題 製品の完成、そして売れない時代 社内ベンチャーから分社の時代 戦略子会社 事業再建委員会 工場優先の論理 MOTからみた最適体制は? MOTか、単なる経営か 第3章 日本の開発ベンチャー 日本的マネジメントとは 日本のベンチャーとの関わり ベンチャー企業に「管理者」は不要 物(技術)のマネジメント ハードとソフトの融合 資金のマネジメント① お金は難しいことに使う 資金のマネジメント② ローリスク・ハイリターン 異分野業種に対するコンサルティング 顧客の業界ルールへの対応 ベンチャー企業発展のフィロソフィー 日本の開発ベンチャーから学ぶこと 補足3 日本的ベンチャーの成功の方法とスピリット 「芋づる式」と「のれん分け」 企業グループの構成 「群れ」の効用 第4章 企業内起業顛末記② 起業研究所受難時代事業概要 大学発のシーズから 応用的研究の開始 落下傘降下型事業展開 マーケティングは商社と、先端技術は大学と 超伝導材料、その他機能性材料を模索 カルシアセラミックス製造の必要性 チタン合金・純チタンの溶解技術を確立 チタンのゴルフヘッド 一五年間の顛末-MOTの立場から 企業内起業の開発・事業化モデル 企業内新規事業の「壁」 第5章 失敗例に学ぶ どの段階での失敗か CASE1 先進コーディング事業での失敗例研究-開発:「何にでも使える優れた技術」の安易な横展開 開発-事業化:マーケティングと技術者、それぞれの間違い 早すぎた工場管理 一〇年後の結末 反省点-技術・開発としては優れていたが、事業化は失敗? 今だったらどうしていたか(CASE1) CASE2 半導体用製造装置事業での失敗例事業立ち上げの経緯と背景 トップの意欲-人・金の投入 手遅れになった経緯 最後の清算 反省点-事業立ち上げは成功、事業運営は失敗 今だったらどうしていたか(CASE2) 伝統的リスク管理体制は「功」より「罪」が大きい スピードの壁 売り上げの壁 補足4 大企業のメリットと大企業病とは失敗の本質に関わる大企業の動向 新規事業開発における大企業の動き 大企業生活をエンジョイする 大企業病あれこれ、いろいろなマヒと体質 おわりに 企業内起業と開発ベンチャーは補完関係 企業内起業(コーポレートベンチャー)のパターンと最適解 MOTにおけるアクター 大企業であれ、ベンチャー企業であれ 「起業したい」人が起業しない理由 現行支援制度の問題点 人、物(場所・技術)、金に関する提言 人材育成・起業に対する支援策 物(場所・技術)に対する支援策 資金などに対する支援策 技術者の選択肢 未来は自分たちで作るもの 気になる表現 メモ 参考文献
https://w.atwiki.jp/fami2/pages/49.html
店名 場所(URL) 結果 ファミ通.com http //s02.megalodon.jp/2007-1005-2116-55/www.famitsu.com/review/title/0000/0000/0002/8940/ マジコンを裏切って批判を始めた ゲームマジック http //www.gamesmagic.net/ 10/5閉店 マジコン市場 http //mgichiba.shop22.makeshop.jp/ DSONE正規代理店? 10/12閉店 マジコンショップ http //www.r4-dstt.com/ ~10/6休 下ショップとは違う。価格高め マジコンショップ http //www.g6shop.com/ Google宣伝中。高い。送られてこないと噂もあるが真偽不明 マジ.com http //www.magi-com.cn/ トランス東京 http //majikaruty.shop22.makeshop.jp/ Gshop http //gshoppg.com/ DSMAJIKON.COM http //www.dsmajikon.com/
https://w.atwiki.jp/tsugan/pages/121.html
資治通鑑巻第十八 漢紀十 世宗孝武皇帝上之下 元光二年(戊申、前一三三) 1冬,十月,上行幸雍,祠五畤。 1. 2李少君以祠灶卻老方見上,上尊之。少君者,故深澤侯舍人,匿其年及其生長,其游以方遍諸侯,無妻子。人聞其能使物及不死,更饋遺之,常餘金錢、衣食。人皆以爲不治生業而饒給,又不知其何所人,愈信,爭事之。少君善爲巧發奇中。嘗從武安侯飲,坐中有九十餘老人,少君乃言與其大父游射處;老人爲兒時從其大父,識其處,一坐盡驚。少君言上曰:「祠灶則致物,致物而丹沙可化爲黄金,壽可益,蓬萊仙者可見;見之,以封禪則不死,黄帝是也。臣嘗游海上,見安期生,食臣棗,大如瓜。安期生仙者,通蓬萊中,合則見人,不合則隱。」於是天子始親祠灶,遣方士入海求蓬萊安期生之屬,而事化丹沙諸藥齊爲黄金矣。居久之,李少君病死,天子以爲化去,不死;而海上燕、齊怪迂之方士多更來言神事矣。 2. 3亳人謬忌奏祠太一。方曰:「天神貴者太一,太一佐曰五帝。」於是天子立其祠長安東南郊。 3. 4鴈門馬邑豪聶壹,因大行王恢言:「匈奴初和親,親信邊,可誘以利致之,伏兵襲撃,必破之道也。」上召問公卿。王恢曰:「臣聞全代之時,北有強胡之敵,内連中國之兵,然尚得養老、長幼,種樹以時,倉廩常實,匈奴不輕侵也。今以陛下之威,海内爲一,然匈奴侵盜不已者,無他,以不恐之故耳。臣竊以爲撃之便。」韓安國曰:「臣聞高皇帝嘗圍於平城,七日不食;及解圍反位,而無忿怒之心。夫聖人以天下爲度者也,不以己私怒傷天下之功,故遣劉敬結和親,至今爲五世利。臣竊以爲勿撃便。」恢曰:「不然。高帝身被堅執鋭,行幾十年,所以不報平城之怨者,非力不能,所以休天下之心也。今邊境數驚,士卒傷死,中國槥車相望,此仁人之所隱也。故曰撃之便。」安國曰:「不然。臣聞用兵者以飽待饑,正治以待其亂,定捨以待其勞;故接兵覆衆,伐國墮城,常坐而役敵國,此聖人之兵也。今將卷甲輕舉,深入長驅,難以爲功;從行則迫脅,衡行則中絶,疾則糧乏,徐則後利,不至千里,人馬乏食。兵法曰:『遺人,獲也』,臣故曰勿撃便。」恢曰:「不然。臣今言撃之者,固非發而深入也。將順因單于之欲,誘而致之邊,吾選梟騎、壯士陰伏而處以爲之備,審遮險阻以爲其戒。吾勢已定,或營其左,或營其右,或當其前,或絶其後,單于可禽,百全必取。」上從恢議。 夏,六月,以御史大夫韓安國爲護軍將軍,衞尉李廣爲驍騎將軍,太僕公孫賀爲輕車將軍,大行王恢爲將屯將軍,太中大夫李息爲材官將軍,將車騎、材官三十餘萬匿馬邑旁谷中,約單于入馬邑縱兵。陰使聶壹爲間,亡入匈奴,謂單于曰:「吾能斬馬邑令、丞,以城降,財物可盡得。」單于愛信,以爲然而許之。聶壹乃詐斬死罪囚,縣其頭馬邑城下,示單于使者爲信,曰:「馬邑長吏已死,可急來!」於是單于穿塞,將十萬騎入武州塞。未至馬邑百餘里,見畜布野而無人牧者,怪之。乃攻亭,得鴈門尉史,欲殺之,尉史乃告單于漢兵所居。單于大驚曰:「吾固疑之。」乃引兵還,出曰:「吾得尉史,天也!」以尉史爲天王。塞下傳言單于已去,漢兵追至塞,度弗及,乃皆罷兵。王恢主別從代出撃胡輜重,聞單于還,兵多,亦不敢出。 上怒恢。恢曰:「始,約爲入馬邑城,兵與單于接,而臣撃其輜重,可得利。今單于不至而還,臣以三萬人衆不敵,只取辱。固知還而斬,然完陛下士三萬人。」於是下恢廷尉。廷尉當「恢逗橈,當斬。」恢行千金丞相蚡,蚡不敢言上,而言於太后曰:「王恢首爲馬邑事,今不成而誅恢,是爲匈奴報仇也。」上朝太后,太后以蚡言告上。上曰:「首爲馬邑事者恢,故發天下兵數十萬,從其言爲此。且縱單于不可得,恢所部撃其輜重,猶頗可得以慰士大夫心。今不誅恢,無以謝天下。」於是恢聞,乃自殺。自是之後,匈奴絶和親,攻當路塞,往往入盜於漢邊,不可勝數;然尚貪樂關市,嗜漢財物;漢亦關市不絶,以中其意。 4. 三年(己酉、前一三二) 1春,河水徙,從頓丘東南流。夏,五月,丙子,復決濮陽瓠子,注巨野,通淮、泗,泛郡十六。天子使汲黯、鄭當時發卒十萬塞之,輒復壞。是時,田蚡奉邑食鄃,鄃居河北,河決而南,則鄃無水災,邑收多。蚡言於上曰:「江、河之決皆天事,未易以人力強塞,塞之未必應天。」而望氣用數者亦以爲然。於是天子久之不復事塞也。 1. 2初,孝景時,魏其侯竇嬰爲大將軍,武安侯田蚡乃爲諸郎,侍酒跪起如子侄。已而蚡日益貴幸,爲丞相。魏其失勢,賓客益衰,獨故燕相穎陰灌夫不去。嬰乃厚遇夫,相爲引重,其游如父子然。夫爲人剛直,使酒,諸有勢在己之右者必陵之;數因酒忤丞相。丞相乃奏案:「灌夫家屬橫穎川,民苦之。」收繋夫及支屬,皆得棄市罪。魏其上書論救灌夫,上令與武安東朝廷辨之。魏其、武安因互相詆訐。上問朝臣:「兩人孰是?」唯汲黯是魏其,韓安國兩以爲是;鄭當時是魏其,後不敢堅。上怒當時曰:「吾並斬若屬矣。」即罷。起,入。上食太后,太后怒不食,曰:「今我在也,而人皆藉吾弟;令我百歳後,皆魚肉之乎!」上不得已,遂族灌夫;使有司案治魏其,得棄市罪。 2. 四年(庚戌、前一三一) 1冬,十二月晦,論殺魏其於渭城。春,三月,乙卯,武安侯蚡亦薨。及淮南王安敗,上聞蚡受安金,有不順語,曰:「使武安侯在者,族矣!」 1. 2夏,四月,隕霜殺草。 2. 3御史大夫安國行丞相事,引,墮車,蹇。五月,丁巳,以平棘侯薛澤爲丞相,安國病免。 3. 4地震。赦天下。 4. 5九月,以中尉張歐爲御史大夫。韓安國疾愈,復爲中尉。 5. 6河間王德,修學好古,實事求是,以金帛招求四方善書,得書,多與漢朝等。是時,淮南王安亦好書,所招致率多浮辯。獻王所得書,皆古文先秦舊書,采禮樂古事,稍稍增輯至五百餘篇,被服、造次必於儒者,山東諸儒多從之遊。 6. 五年(辛亥、前一三〇) 1冬,十月,河間王來朝,獻雅樂,對三雍宮及詔策所問三十餘事。其對,推道術而言,得事之中,文約指明。天子下太樂官常存肄河間王所獻雅聲,歳時以備數,然不常御也。春,正月,河間王薨,中尉常麗以聞,曰:「王身端行治,温仁恭儉,篤敬愛下,明知深察,惠於鰥寡。」大行令奏:「謚法:『聰明睿知曰獻,』謚曰獻王。」 班固贊曰:昔魯哀公有言:「寡人生於深宮之中,長於婦人之手,未嘗知憂,未嘗知懼。」信哉斯言也,雖欲不危亡,不可得已!是故古人以宴安爲鴆毒,無德而富貴謂之不幸。漢興,至於孝平,諸侯王以百數,率多驕淫失道。何則?沈溺放恣之中,居勢使然也。自凡人猶繫於習俗,而況哀公之倫乎!「夫唯大雅,卓爾不羣」,河間獻王近之矣。 1. 2初,王恢之討東越也,使番陽令唐蒙風曉南越。南越食蒙以蜀枸醬,蒙問所從來。曰:「道西北牂柯江。牂柯江廣數里,出番禺城下。」蒙歸至長安,問蜀賈人。賈人曰:「獨蜀出枸醬,多持竊出市夜郎。夜郎者,臨牂柯江,江廣百餘歩,足以行船。南越以財物役屬夜郎,西至桐師,然亦不能臣使也。」蒙乃上書説上曰:「南越王黄屋左纛,地東西萬餘里,名爲外臣,實一州主也。今以長沙、豫章往,水道多絶,難行。竊聞夜郎所有精兵可得十餘萬,浮船牂柯江,出其不意,此制越一奇也。誠以漢之強,巴、蜀之饒,通夜郎道爲置吏,甚易。」上許之。 乃拜蒙爲中郎將,將千人,食重萬餘人,從巴、蜀筰關入,遂見夜郎侯多同。蒙厚賜,喩以威德,約爲置吏,使其子爲令。夜郎旁小邑皆貪漢繒帛,以爲漢道險,終不能有也,乃且聽蒙約。還報,上以爲犍爲郡,發巴、蜀卒治道,自僰道指牂柯江,作者數萬人,士卒多物故,有逃亡者。用軍興法誅其渠率,巴、蜀民大驚恐。上聞之,使司馬相如責唐蒙等,因諭告巴、蜀民以非上意;相如還報。 是時,邛、筰之君長。聞南夷與漢通,得賞賜多,多欲願爲内臣妾,請吏比南夷。天子問相如,相如曰:「邛、筰、冉駹者近蜀,道亦易通。秦時嘗通,爲郡縣,至漢興而罷。今誠復通,爲置郡縣,愈於南夷。」天子以爲然,乃拜相如爲中郎將,建節往使,及副使王然於等乘傳,因巴、蜀吏幣物以賂西夷。邛、筰、冉駹、斯楡之君。皆請爲内臣。除邊關;關益斥,西至沬、若水,南至牂柯爲徼,通零關道,橋孫水以通邛都,爲置一都尉、十餘縣,屬蜀。天子大説。 2. 3詔發卒萬人治鴈門阻險。 3. 4秋,七月,大風拔木。 4. 5女巫楚服等教陳皇后祠祭厭勝,挾婦人媚道;事覺,上使御史張湯窮治之。湯深竟黨與,相連及誅者三百餘人,楚服梟首於市。乙巳,賜皇后冊,收其璽綬,罷退,居長門宮。竇太主慚懼,稽顙謝上。上曰:「皇后所爲不軌於大義,不得不廢。主當信道以自慰,勿受妄言以生嫌懼。後雖廢,供奉如法,長門無異上宮也。」 5. 6初,上嘗置酒竇太主家,主見所幸賣珠兒董偃,上賜之衣冠,尊而不名,稱爲「主人翁」,使之侍飲;由是董君貴寵,天下莫不聞。常從遊戲北宮,馳逐平樂觀雞、鞠之會,角狗、馬之足,上大歡樂之。上爲竇太主置酒宣室,使謁者引内董君。是時,中郎東方朔陛戟殿下,辟戟而前曰:「董偃有斬罪三,安得入乎!」上曰:「何謂也?」朔曰:「偃以人臣私侍公主,其罪一也。敗男女之化,而亂婚姻之禮,傷王制,其罪二也。陛下富於春秋,方積思於六經,偃不遵經勸學,反以靡麗爲右,奢侈爲務,盡狗馬之樂,極耳目之欲,是乃國家之大賊,人主之大蜮,其罪三也。」上默然不應,良久曰:「吾業已設飲,後而自改。」朔曰:「不可。夫宣室者,先帝之正處也,非法度之政不得入焉。故淫亂之漸,其變爲簒。是以豎貂爲淫而易牙作患,慶父死而魯國全。」上曰:「善!」有詔止,更置酒北宮,引董君從東司馬門入;賜朔黄金三十斤。董君之寵由是日衰。是後,公主、貴人多踰禮制矣。 6. 7上以張湯爲太中大夫,與趙禹共定諸律令,務在深文。拘守職之吏,作見知法,吏傳相監司。用法益刻自此始。 7. 8八月,螟。 8. 9是歳,征吏民有明當世之務、習先聖之術者,縣次續食,令與計諧。 菑川人公孫弘對策曰:「臣聞上古堯、舜之時,不貴爵賞而民勸善,不重刑罰而民不犯,躬率以正則遇民信也;末世貴爵厚賞而民不勸,深刑重罰而姦不止,其上不正,遇民不信也。夫厚賞重刑,未足以勸善而禁非,必信而已矣。是故因能任官,則分職治;去無用之言,則事情得;不作無用之器,則賦斂省;不奪民時,不妨民力,則百姓富;有德者進,無德者退,則朝廷尊;有功者上,無功者下,則羣臣逡;罰當罪,則姦邪止;賞當賢,則臣下勸。凡此八者,治之本也。故民者,業之則不爭,理得則不怨,有禮則不暴,愛之則親上,此有天下之急者也。禮義者,民之所服也;而賞罰順之,則民不犯禁矣。 臣聞之:氣同則從,聲比則應。今人主和德於上,百姓和合於下,故心和則氣和,和則形和,形和則聲和,聲和則天地之和應矣。故陰陽和,風雨時,甘露降,五穀登,六畜蕃,嘉禾興,硃草生,山不童,澤不涸,此和之至也。」 時對者百餘人,太常奏弘第居下。策奏,天子擢弘對爲第一,拜爲博士,待詔金馬門。 齊人轅固,年九十餘,亦以賢良征。公孫弘仄目而事固,固曰:「公孫子,務正學以言,無曲學以阿世。」諸儒多疾毀固者,固遂以老罷歸。 是時,巴、蜀四郡鑿山通西南夷道,千餘里戍轉相餉。數歳,道不通,士罷餓、離暑濕死者甚衆;西南夷又數反,發兵興撃,費以巨萬計而無功。上患之,詔使公孫弘視焉。還奏事,盛毀西南夷無所用,上不聽。弘毎朝會議,開陳其端,使人主自擇,不肯面折廷爭。於是上察其行愼厚,辯論有餘,習文法吏事,縁飾以儒術,大説之,一歳中遷至左内史。 弘奏事,有不可,不廷辨。常與汲黯請間,黯先發之,弘推其後,天子常説,所言皆聽,以此日益親貴。弘嘗與公卿約議,至上前,皆倍其約以順上旨。汲黯廷詰弘曰:「齊人多詐而無情實。始與臣等建此議,今皆倍之,不忠!」上問弘。弘謝曰:「夫知臣者,以臣爲忠;不知臣者,以臣爲不忠。」上然弘言。左右幸臣毎毀弘,上益厚遇之。 9. 六年(壬子、前一二九) 1冬,初算商車。 1. 2大司農鄭當時言:「穿渭爲渠,下至河,漕關東粟徑易,又可以漑渠下民田萬餘頃。」春,詔發卒數萬人穿渠,如當時策;三歳而通,人以爲便。 2. 3匈奴入上谷,殺略吏民。遣車騎將軍衞靑出上谷,騎將軍公孫敖出代,輕車將軍公孫賀出雲中,驍騎將軍李廣出鴈門,各萬騎,撃胡關市下。衞靑至龍城,得胡首虜七百人;公孫賀無所得;公孫敖爲胡所敗,亡七千騎;李廣亦爲胡所敗。胡生得廣,置兩馬間,絡而盛臥,行十餘里;廣佯死,暫騰而上胡兒馬上,奪其弓,鞭馬南馳,遂得脱歸。漢下敖、廣吏,當斬,贖爲庶人;唯靑賜爵關内侯。靑雖出於奴虜,然善騎射,材力絶人;遇士大夫以禮,與士卒有恩,衆樂爲用,有將帥材,故毎出輒有功。天下由此服上之知人。 3. 4夏,大旱,蝗。 4. 5六月,上行幸雍。 5. 6秋,匈奴數盜邊,漁陽尤甚。以衞尉韓安國爲材官將軍,屯漁陽。 6. 元朔元年(癸丑、前一二八) 1冬,十一月,詔曰:「朕深詔執事,興廉舉孝,庶幾成風,紹休聖緒。夫十室之邑,必有忠信;三人並行,厥有我師。今或至闔郡而不薦一人,是化不下究,而積行之君子壅於上聞也。且進賢受上賞,蔽賢蒙顯戮,古之道也。其議二千石不舉者罪。」有司奏:「不舉孝,不奉詔,當以不敬論;不察廉,不勝任也,當免。」奏可。 1. 2十二月,江都易王非薨。 2. 3皇子據生,衞夫人之子也。三月,甲子,立衞夫人爲皇后,赦天下。 3. 4秋,匈奴二萬騎入漢,殺遼西太守,略二千餘人,圍韓安國壁;又入漁陽、鴈門,各殺略千餘人。安國益東徙,屯北平;數月,病死。天子乃復召李廣,拜爲右北平太守。匈奴號曰「漢之飛將軍」,避之,數歳不敢入右北平。 4. 5車騎將軍衞靑將三萬騎出鴈門,將軍李息出代;靑斬首虜數千人。 5. 6東夷薉君南閭等共二十八萬人降,爲蒼海郡;人徒之費,擬於南夷,燕、齊之間,靡然騷動。 6. 7是歳,魯共王餘、長沙定王發皆薨。 7. 8臨菑人主父偃、嚴安,無終人徐樂,皆上書言事。 始,偃游齊、燕、趙,皆莫能厚遇,諸生相與排擯不容;家貧,假貸無所得,乃西入關上書闕下,朝奏,暮召入。所言九事,其八事爲律令;一事諫伐匈奴,其辭曰:「司馬法曰:『國雖大,好戰必亡;天下雖平,忘戰必危。』夫怒者逆德也,兵者凶器也,爭者末節也。夫務戰勝,窮武事者,未有不悔者也。 昔秦皇帝併呑戰國,務勝不休,欲攻匈奴。李斯諫曰:『不可。夫匈奴,無城郭之居,委積之守,遷徙鳥舉,難得而制也。輕兵深入,糧食必絶;踵糧以行,重不及事。得其地,不足以爲利也;得其民,不可調而守也;勝必殺之,非民父母也;靡敝中國,快心匈奴,非長策也。』秦皇帝不聽,遂使蒙恬將兵攻胡,闢地千里,以河爲境。地固沮澤、咸鹵,不生五穀。然後發天下丁男以守北河,暴兵露師十有餘年,死者不可勝數,終不能踰河而北,是豈人衆不足,兵革不備哉?其勢不可也。又使天下蜚芻、嚙輓粟,起於東陲、琅邪負海之郡,轉輸北河,率三十鐘而致一石。男子疾耕,不足於糧餉,女子紡績,不足於帷幕,百姓靡敝,孤寡老弱不能相養,道路死者相望,蓋天下始畔秦也。 及至高皇帝,定天下,略地於邊,聞匈奴聚於代谷之外而欲撃之。御史成進諫曰:『不可。夫匈奴之性,獸聚而鳥散,從之如搏影。今以陛下盛德攻匈奴,臣竊危之。』高帝不聽,遂北至於代谷,果有平城之圍。高皇帝蓋悔之甚,乃使劉敬往結和親之約,然後天下忘干戈之事。 夫匈奴難得而制,非一世也;行盜侵驅,所以爲業也,天性固然。上及虞、夏、殷、周,固弗程督,禽獸畜之,不屬爲人。夫上不觀虞、夏、殷、周之流,而下循近世之失,此臣之所大憂,百姓之所疾苦也。」 嚴安上書曰:「今天下人民,用財侈靡,車馬、衣裘、宮室,皆競修飾,調五聲使有節族,雜五色使有文章,重五味方丈於前,以觀欲天下。彼民之情,見美則願之,是教民以侈也;侈而無節,則不可贍,民離本而徼末矣。末不可徒得,故縉紳者不憚爲詐,帶劍者誇殺人以矯奪,而世不知愧,是以犯法者衆。臣願爲民制度以防其淫,使貧富不相燿以和其心;心志定,則盜賊消,刑罰少,陰陽和,萬物蕃也。昔秦王意廣心逸,欲威海外,使蒙恬將兵以北攻胡,又使尉屠睢將樓船之士以攻越。當是時,秦禍北構於胡,南掛於越,宿兵於無用之地,進而不得退。行十餘年,丁男被甲,丁女轉輸,苦不聊生;自經於道樹,死者相望。及秦皇帝崩,天下大畔,滅世絶祀,窮兵之禍也。故周失之弱,秦失之強,不變之患也。今徇西夷,朝夜郎,降羌、僰,略薉州,建城邑,深入匈奴,燔其龍城,議者美之。此人臣之利,非天下之長策也。」 徐樂上書曰:「臣聞天下之患,在於土崩,不在瓦解,古今一也。 何謂土崩?秦之末世是也。陳渉無千乘之尊、疆土之地,身非王公、大人、名族之後,郷曲之譽,非有孔、曾、墨子之賢,陶硃、猗頓之富也;然起窮巷,奮棘矜,偏袒大呼,天下從風。此其故何也?由民困而主不恤,下怨而上不知,俗已亂而政不修。此三者,陳渉之所以爲資也,此之謂土崩。故曰天下之患在乎土崩。 何謂瓦解?呉、楚、齊、趙之兵是也。七國謀爲大逆,號皆稱萬乘之君,帶甲數十萬,威足以嚴其境内,財足以勸其士民;然不能西攘尺寸之地,而身爲禽於中原者,此其故何也?非權輕於匹夫而兵弱於陳渉也。當是之時,先帝之德未衰而安土樂俗之民衆,故諸侯無竟外之助,此之謂瓦解。故曰天下之患不在瓦解。 此二體者,安危之明要,賢主之一留意而深察也。 間者,關東五穀數不登,年歳未復,民多窮困,重之以邊境之事,推數循理而觀之,民宜有不安其處者矣。不安,故易動;易動者,土崩之勢也。故賢主獨觀萬化之原,明於安危之機,修之廟堂之上而銷未形之患也,其要期使天下無土崩之勢而已矣。」 書奏,天子召見三人,謂曰:「公等皆安在,何相見之晩也!」皆拜爲郎中。主父偃尤親幸,一歳中凡四遷,爲中大夫。大臣畏其口,賂遺累千金。或謂偃曰:「太橫矣!」偃曰:「吾生不五鼎食,死即五鼎烹耳!」 8. 二年(甲寅、前一二七) 1冬,賜淮南王几杖,毋朝。 1. 2主父偃説上曰:「古者諸侯不過百里,強弱之形易制。今諸侯或連城數十,地方千里,緩則驕奢,易爲淫亂,急則阻其強而合從以逆京師。以法割削之,則逆節萌起,前日晁錯是也。今諸侯子弟或十數,而適嗣代立,餘雖骨肉,無尺地之封,則仁孝之道不宣。願陛下令諸侯得推恩分子弟,以地侯之,彼人人喜得所願。上以德施,實分其國,不削而稍弱矣。」上從之。春,正月,詔曰:「諸侯王或欲推私恩分子弟邑者,令各條上,朕且臨定其號名。」於是籓國始分,而子畢侯矣。 2. 3匈奴入上谷、漁陽,殺略吏民千餘人。遣衞靑、李息出雲中以西至隴西,撃胡之樓煩、白羊王於河南,得胡首虜數千,牛羊百餘萬,走白羊、樓煩王,遂取河南地。詔封靑爲長平侯,靑校尉蘇建、張次公皆有功,封建爲平陵侯,次公爲岸頭侯。 主父偃言:「河南地肥饒,外阻河,蒙恬城之以逐匈奴,内省轉輸戍漕,廣中國,滅胡之本也。」上下公卿議,皆言不便。上竟用偃計,立朔方郡,使蘇建興十餘萬人築朔方城,復繕故秦時蒙恬所爲塞,因河爲固。轉漕甚遠,自山東咸被其勞,費數十百巨萬,府庫並虚;漢亦棄上谷之鬥辟縣造陽地以予胡。 3. 4三月,乙亥晦,日有食之。 4. 5夏,募民徙朔方十萬口。 5. 6主父偃説上曰:「茂陵初立,天下豪桀,並兼之家,亂衆之民,皆可徙茂陵;内實京師,外銷姦猾,此所謂不誅而害除。」上從之,徙郡國豪傑及訾三百萬以上於茂陵。 軹人郭解,關東大俠也,亦在徙中。衞將軍爲言:「郭解家貧,不中徙。」上曰:「解,布衣,權至使將軍爲言,此其家不貧。」卒徙解家。解平生睚眥殺人甚衆,上聞之,下吏捕治解,所殺皆在赦前。軹有儒生侍使者坐,客譽郭解,生曰:「解專以姦犯公法,何謂賢!」解客聞,殺此生,斷其舌。吏以此責解,解實不知殺者,殺者亦竟絶,莫知爲誰。吏奏解無罪,公孫弘議曰:「解,布衣,爲任俠行權,以睚眥殺人。解雖弗知,此罪甚於解殺之。當大逆無道。」遂族郭解。 班固曰:古者天子建國,諸侯立家,自卿大夫以至於庶人,各有等差,是以民服事其上而下無覬覦。周室既微,禮樂、征伐自諸侯出。桓、文之後,大夫世權,陪臣執命。陵夷至於戰國,合從連衡,繇是列國公子,魏人信陵,趙有平原,齊有孟嘗,楚有春申,皆藉王公之勢,競爲遊俠,雞鳴狗盜,無不賓禮。而趙相虞卿,棄國捐君,以周窮交魏齊之厄;信陵無忌,竊符矯命,戮將專師,以赴平原之急;皆以取重諸侯,顯名天下,扼腕而游談者,以四豪爲稱首。於是背公死黨之議成,守職奉上之義廢矣。及至漢興,禁網疏闊,未知匡改也。是故代相陳豨從車千乘,而呉濞、淮南皆招客以千數。外戚大臣魏其、武安之屬競逐於京師,布衣遊俠劇孟、郭解之徒馳騖於閻閭、權行州域。力折公侯,衆庶榮其名跡,覬而慕之。雖其陷於刑辟,自與殺身成名,若季路、仇牧,死而不悔。故曾子曰:「上失其道,民散久矣。」非明王在上,示之以好惡,齊之以禮法,民曷由知禁而反正乎!古之正法:五伯,三王之罪人也;而六國,五伯之罪人也。夫四豪者,又六國之罪人也。況於郭解之倫,以匹夫之細,竊殺生之權,其罪已不容於誅矣。觀其温良泛愛,振窮周急,謙退不伐,亦皆有絶異之姿。惜乎,不入於道德,苟放縱於末流,殺身亡宗,非不幸也。 荀悅論曰:世有三游,德之賊也:一曰遊俠,二曰遊説,三曰遊行。立氣勢,作威福,結私交以立強於世者,謂之遊俠;飾辯辭,設詐謀,馳逐於天下以要時勢者,謂之遊説;色取仁以合時好,連黨類,立虚譽以爲權利者,謂之遊行。此三者,亂之所由生也;傷道害德,敗法惑世,先王之所愼也。國有四民,各修其業。不由四民之業者,謂之姦民。姦民不生,王道乃成。 凡此三游之作,生於季世,周、秦之末尤甚焉。上不明,下不正,制度不立,綱紀馳廢;以毀譽爲榮辱,不核其眞;以愛憎爲利害,不論其實;以喜怒爲賞罰,不察其理。上下相冒,萬事乖錯,是以言論者計薄厚而吐辭,選舉者度親疏而舉筆,善惡謬於衆聲,功罪亂於王法。然則利不可以義求,害不可以道避也。是以君子犯禮,小人犯法,奔走馳騁,越職僭度,飾華廢實,競趣時利。簡父兄之尊而崇賓客之禮,薄骨肉之恩而篤朋友之愛,忘修身之道而求衆人之譽,割衣食之業以供饗宴之好,苞苴盈於門庭,聘問交於道路,書記繁於公文,私務衆於官事,於是流俗成而正道壞矣。 是以聖王在上,經國序民,正其制度;善惡要於功罪而不淫於毀譽,聽其言而責其事,舉其名而指其實。故實不應其聲者謂之虚,情不覆其貌者謂之僞,毀譽失其眞者謂之誣,言事失其類者謂之罔。虚僞之行不得設,誣罔之辭不得行,有罪惡者無僥倖,無罪過者不憂懼,請謁無所行,貨賂無所用,息華文,去浮辭,禁僞辯,絶淫智,放百家之紛亂,壹聖人之至道,養之以仁惠,文之以禮樂,則風俗定而大化成矣。 6. 7燕王定國與父康王姫姦,奪弟妻爲姫,殺肥如令郢人。郢人兄弟上書告之,主父偃從中發其事。公卿請誅定國,上許之。定國自殺,國除。 齊厲王次昌亦與其姊紀翁主通。主父偃欲納其女於齊王,齊紀太后不許。偃因言於上曰:「齊臨菑十萬戸,市租千金,人衆殷富,巨於長安,非天子親弟、愛子,不得王此。今齊王於親屬益疏,又聞其姊亂,請治之!」於是帝拜偃爲齊相,且正其事。偃至齊,急治王后宮宦者,辭及王;王懼,飲藥自殺。偃少時游齊及燕、趙,及貴,連敗燕、齊。趙王彭祖懼,上書告主父偃受諸侯金,以故諸侯子弟多以得封者。及齊王自殺,上聞,大怒,以爲偃劫其王令自殺,乃征下吏治。偃服受諸侯金,實不劫王令自殺。上欲勿誅,公孫弘曰:「齊王自殺,無後,國除爲郡入漢,主父偃本首惡。陛下不誅偃,無以謝天下。」乃遂族主父偃。 7. 8張歐免,上欲以蓼侯孔臧爲御史大夫。臧辭曰:「臣世以經學爲業,乞爲太常,典臣家業,與從弟侍中安國綱紀古訓,使永垂來嗣。」上乃以臧爲太常,其禮賜如三公。 8. 三年(乙卯、前一二六) 1冬,匈奴軍臣單于死,其弟左谷蠡王伊稚斜自立爲單于,攻破軍臣單于太子於單,於單亡降漢。 1. 2以公孫弘爲御史大夫。是時,方通西南夷,東置蒼海,北築朔方之郡。公孫弘數諫,以爲罷敝中國以奉無用之地,願罷之。天子使硃買臣等難以置朔方之便;發十策,弘不得一。弘乃謝曰:「山東鄙人,不知其便若是,願罷西南夷、蒼海而專奉朔方。」上乃許之,春,罷蒼海郡。 弘爲布被,食不重肉。汲黯曰:「弘位在三公,奉祿甚多;然爲布被,此詐也。」上問弘,弘謝曰:「有之。夫九卿臣善者無過黯,然今日廷詰弘,誠中弘之病。夫以三公爲布被,與小吏無差,誠飾詐,欲以釣名,如汲黯言。且無汲黯忠,陛下安得聞此言!」天子以爲謙讓,愈益厚之。 2. 3三月,赦天下。 3. 4夏,四月,丙子,封匈奴太子於單爲渉安侯,數月而卒。 4. 5初,匈奴降者言:「月氏故居敦煌、祁連間,爲強國,匈奴冒頓攻破之。老上單于殺月氏王,以其頭爲飲器。餘衆遁逃遠去,怨匈奴,無與共撃之。」上募能通使月氏者,漢中張騫以郎應募,出隴西,逕匈奴中;單于得之,留騫十餘歳。騫得間亡,郷月氏西走,數十日,至大宛。大宛聞漢之饒財,欲通不得,見騫,喜,爲發導譯抵康居,傳致大月氏。大月氏太子爲王,既撃大夏,分其地而居之,地肥饒,少寇,殊無報胡之心。騫留歳餘,竟不能得月氏要領,乃還;並南山,欲從羌中歸,復爲匈奴所得,留歳餘。會伊稚斜逐於單,匈奴國内亂,騫乃與堂邑氏奴甘父逃歸。上拜騫爲太中大夫,甘父爲奉使君。騫初行時百餘人,去十三歳,唯二人得還。 5. 6匈奴數萬騎入塞,殺代郡太守恭,及略千餘人。 6. 7六月,庚午,皇太后崩。 7. 8秋,罷西夷,獨置南夷、夜郎兩縣、一都尉,稍令犍爲自葆就,專力城朔方。 8. 9匈奴又入鴈門,殺略千餘人。 9. 10是歳,中大夫張湯爲廷尉。湯爲人多詐,舞智以御人。時上方郷文學,湯陽浮慕,事董仲舒、公孫弘等。以千乘兒寬爲奏讞掾,以古法義決疑獄。所治,即上意所欲罪,與監、史深禍者;即上意所欲釋,與監、史輕平者;上由是悅之。湯於故人子弟調護之尤厚;其造請諸公,不避寒暑。是以湯雖文深、意忌、不專平,然得此聲譽。汲黯數質責湯於上前曰:「公爲正卿,上不能褒先帝之功業,下不能抑天下之邪心,安國富民,使囹圄空虚,何空取高皇帝約束紛更之爲!而公以此無種矣。」黯時與湯論議,湯辯常在文深小苛;黯伉厲守高,不能屈,忿發,罵曰:「天下謂刀筆吏不可以爲公卿,果然!必湯也,令天下重足而立,側目而視矣!」 10. 四年(丙辰、前一二五) 1冬,上行幸甘泉。 1. 2夏,匈奴入代郡、定襄、上郡,各三萬騎,殺略數千人。 2.
https://w.atwiki.jp/famitsu/
ファミ通クロスレビュー、オレならこう書く!@wikiへようこそ ゲームを買うときにファミ通クロスレビューを参考にしているひとは多いと思います。しかし、レビューの点数と自分の感想が異なることがあって、オレならレビューはこう書くのになぁと思うことはありませんか? そんなとき、ここにあなたのゲームレビューを書き込みませんか?大勢のレビューが集まればゲーム購入の判断材料として役立ちます。 【注意】 違法な情報等、不適切な書き込みをしないでください。不適切な書き込みは管理人が削除、修正する場合があります。 あくまでも、あなたのレビューを書き込む場であって、ファミ通クロスレビュー内容を批判する場ではありません。ファミ通批判にならないように注意してください。 ファミ通クロスレビュー、オレならこう書く!@wikiへようこそ新規ページ作成 レビューを書く場合の注意 新規ページ作成 必ず該当ページが無いことを確認してから作成してください。 ページの名前は「ゲーム機略称 ゲームタイトル名」とします。 数字、英文字、 などは半角文字で表す。 ゲーム機の略称PS2 (プレイステーション2) PS3 (プレイステーション3) Wii (Wii) DS (ニンテンドーDS) PSP (プレイステーション・ポータブル) X360 (Xbox 360) たとえば次の架空ゲームの場合GG2 おつかいクエスト101になります。 ゲーム機名 ゲーム機略称 ゲームタイトル GAME GIRL 2 GG2 おつかいクエスト101 ゲーム機別にページを分ける理由は、同じタイトルでも機種によって出来栄えが異なり、評価が分かれるためです。 レビューを書く場合の注意 あまり細かい決まりはありませんが、以下の点を考慮してください。 他のひとのレビューは消さずに自分のレビューを追加してください。 wikiは紙面サイズの制約が無い分自由度が高いですが、できるだけ簡潔にまとめることを心がけてください。 感情的なクソゲー扱いは避けること。好みのジャンルで無いだけでクソゲー扱いすることの無いように気をつけてください。 あくまでもレビューを目的としているので、ゲーム攻略法などは、ほどほどに。ゲーム攻略法サイトへのリンクで済むならリンクにしてください。
https://w.atwiki.jp/shodana/pages/26.html
バカとテストと召喚獣4 (ファミ通文庫) バカの上に鈍感なくせに、なぜかFクラスの女子二名にはモテる様子の明久を巡る動きに急展開が起きるところから、物語はスタートする。既に人間相関図的にはあらゆる線が交錯し、人間模様だけでも充分に楽しめるのだが、そこは「バカテス」。ただのラブコメに落とし込むなどと言うヌルい考えは一切ない。帯に「揺れるペッタンコ(の気持ち)」と書いてあり、そこに美波が描かれているだけで一分は笑える、と言うバカテス病患者なら必読。Dクラスの暴走機関車娘・清水さんとの心理戦も見所の一つ。それにしても明久が羨ましいが、姫路さんの料理だけは食いたくない。美波のサブミッションも考え物だが。ああ、もうなんかレビューじゃなくなってるなこれ。 関連ブログ #blogsearch
https://w.atwiki.jp/shodana/pages/24.html
バカとテストと召喚獣3 (ファミ通文庫) なんてこったい、舞台は強化合宿。「健全な男子たるもの、女湯を覗かずして何が人生か!」と、声高に主張するのは普通バカのすることである。しかしこの作品は残念ながら「疾走するバカどもの青春群像活劇」なのだ。つまるところ、バカなのだ。こう書くと明久や雄二たちが率先して覗きを働こうとする話しのようだが実際にはそうでなく、彼らには彼らなりの理由が存在していると言う寸法。無駄に情熱を持て余す思春期男子を盛大にアジテーションし、行く手を阻む女子生徒軍団の攻撃をかい潜り、彼らが思い描いた桃源郷に見た物とは。安心して読める「バカテス」クオリティは健在。笑いながらツッコミながら存分に楽しめること請け合いだ。 関連ブログ #blogsearch